【自転車競技】太田海也(かいや)の軌跡:競技歴3年でオリンピック代表になるまで

スポーツ

 パリオリンピックの自転車競技トラック種目で日本代表に選出された太田海也選手ですが、なんと競技歴わずか3年での快挙達成となり話題を呼んでいます。

パリでは日本男子で唯一、短距離全3種目(スプリント、チームスプリント、ケイリン)に出場します。

岡山県出身の太田選手は、元々ボート競技の選手として注目を集めていましたが、その後自転車競技に転向し、飛躍的な成長を遂げました。

オリンピック代表に至るまで、どのような経緯があったのかその軌跡をご紹介します。

太田海也選手の基本情報

画像:JOC
太田海也おおた かいや
生年月日1999年7月27日 24歳
出身岡山県
身長174cm
体重78kg
所属日本競輪選手会岡山支部
ホーム玉野
自転車競技所属チーム楽天Kドリームス
学歴岡山県立備前市緑陽高等学校→
日本大学(中退)
兄弟4人兄弟の3番目
趣味コーヒー

岡山県出身の太田選手は幼少期から多くのスポーツに慣れ親しみます。

体操にはじまり、小学校ではレスリング・タグラグビー、中学時代はサッカーと様々な競技を経験します。

ただ、自分の身体能力の高さは自覚していたものの、当時はあまり身体を動かすのは好きではなかったそう。

高校生でボート部に入り、本格的に取り組むようになりました。

*参考 More CADENCE

ボート競技での挑戦

画像:TBS NEWS DIG

岡山県立備前市緑陽高等学校に入学後ボート(漕艇)を始めます。

2017年高校3年の時に全国高等学校総合体育大会ダブルスカルで優勝、全国高等学校選抜ボート大会シングルスカルと国民体育大会ボート競技クオドルプルでは準優勝と輝かしい成績を残します。

また高校時代にはジュニアの日本代表として国際大会に出場し、トップ選手として日本大学に進学、ボート部に在籍します。

順調に見えたボート競技での挑戦でしたが、大学1年生の時に自ら限界を感じボートを辞めてしまいます。

スポーツ推薦での大学入学だったこともあり、大学も中退しました。

ボートが楽しかったんですけど、やっぱりボートっていうのは世界で見ても活躍してる選手でいったら190cmぐらいあったりして、自分ではちょっとこう身長が足りないなとか身体的にちょっと厳しいんじゃないかなとか、っていう風に色々思いだして。

それがきっかけでモチベーションが、世界で戦えないんだったらやっていても意味がないんじゃないかなと…その当時が多分19歳とかで、猛烈に18歳から20歳くらいまでは何かを起こしたり何かを一生懸命頑張ってないと、今後すごい嫌な人生になりそうだみたいなに感じて…ボートはその時点で自分の競技的なうえが見えたというか、っていうのと一緒に挫折して辞めたような感じでしたね。

参考:TBS NEWS DIG

自転車との出会い

大学中退後、岡山に戻ります。

食べるために日雇いの土木現場の仕事をしていた太田選手ですが、仕事現場への交通手段として自転車を購入することに。

ここでその後の人生を変える出会いがありました。

当時の全財産は30万円くらい。仕事現場への交通手段として車を買うことを考えたのですが、維持費を考慮すると全然足りませんでした。それで「俺、体強いし自転車で良いんじゃね?」と思ったんです。

当時は自転車のことを何も知らない状態だったので「30万円あれば1番良い自転車を買えるんじゃないかな?」と思って、岡山の素敵な自転車ショップに入ってみたんです、「高級そうだな〜」とか思いながら。

で、入ってみたら、全ッ然買えない。

悩んでいたら「若いのにどうしたの」って感じでたまたま社長に声をかけられたので、「ここで働かせてください!」って(笑)

参考:More CADENCE

自転車ショップに就職したことがきっかけとなり、自転車の奥深さを知り、競輪選手の道を目指すことになります。

運命としか思えない出会いです。

働いていたサイクルショップフリーダムとは今も交流があるようです。

これまでお世話になった方々への感謝を忘れない太田選手の人柄が伺えます。

ボート競技から自転車競技への転向

画像:けいりんマルシェ

ここから怒涛の自転車人生が始まります。

競輪選手を目指した太田選手は2021年1月、日本競輪選手養成所に第121期生として入所します。

自転車を本格的にはじめて1年余りで合格倍率6倍と言われている養成所に合格したことになります。

そして入所後、一気に才能を開花させます。

養成所を早期卒業

 入所して一カ月後に行われた記録会で優秀な成績を収め、「早期卒業候補生」に認定されます。

早期卒業制度とは

養成所の入所期間は通常10カ月であるが、優秀な成績を収めれば他の同期より早く(約7カ月で)卒業し、早期デビューが可能となる制度。

2019年に制度が改正されて以降、2024年4月までに早期卒業を実現したのは4名のみ。

「大物ルーキー」としてメディアやファンからも注目を浴びることとなる。

その後の記録会や競争訓練においても早期卒業要件をクリアする成績を収め、トップレーサーに求められる全てを備えていると認められた太田選手は他の同期に先駆け2021年12月に養成所を卒業しました。

養成所を早期卒業した実力を評価された太田選手は、2022年1月に日本自転車競技連盟よりトラックレース短距離強化指定選手(B指定)に選ばれます。

競輪と自転車競技の二刀流での活躍が脚光を浴びることになります。

衝撃のデビュー戦

画像:競輪選手会オフィシャルファンクラブ

 2022年1月に競輪選手としてのデビュー戦を果たした太田選手はいかんなくその実力を発揮します。

デビュー戦となった小倉FⅡから驚異的なスピードと力強い逃げ脚で注目を集め、続く別府FⅡ、久留米FⅡと3場所連続の完全優勝を成し遂げ競輪界に衝撃を与えました。

その後も順調に好成績を収め、2023年12月にはデビュー3年未満の若手選手9人が出場できる「ヤンググランプリ」で優勝を果たし、公益財団法人JKAより2023年の優秀新人選手賞に選ばれました。

ちなみに優秀新人賞を獲得した2023年の年間総取得賞金額「30,856,000円」となっております。

夢破れ大学を中退し3年前には自転車ショップで働いていた青年が…

夢がありすぎる…

パリ五輪への挑戦

パリオリンピックを目指す太田選手は自転車競技の日本代表として国際大会でも好成績を収めています。

競技歴2年でのアジア大会出場

 2023年、競技歴わずか2年で杭州アジア大会の自転車競技トラック種目への出場を果たしました。

男子チームスプリント、スプリントの2種目において金メダルを獲得し、国際舞台でも存在感を発揮します。

UCIトラックネーションズカップでの功績

 オリンピックの出場枠をかけた重要な大会が「UCIトラックネーションズカップ」です。

オリンピックポイントが付与される対象大会となっており、最終的にこのオリンピックポイントからオリンピックランキングが決定されます。

このランキングを元にどの国が、どの種目に何人出場できるかが決まります

太田選手は2023年のUCIトラックネーションズカップで大きな成果を上げます。

第1戦ジャカルタではスプリントで2位、第2戦カイロではチームスプリント、ケイリン、スプリントの出場種目全てで銅メダルを獲得しました。

更に圧巻だったのは2024年大会です。

第1戦オーストラリアでは得意のスプリントで優勝。チームスプリントで2位、ケイリンで3位の好成績を収めます。

第2戦香港ではスプリントとケイリンで優勝、チームスプリントでは2位と日本代表のエースとして世界にその名を知らしめる結果となりました。

太田選手の活躍もあり、日本男子はパリ五輪においてチームスプリント3人、スプリント2人、ケイリン2人の短距離全3種目、出場最大枠数7人を獲得しました。

太田選手は日本男子で唯一、3種目全てに出場予定です。

≪主な国際大会の成績≫

2023年ケンブリッジGP ニュージーランドスプリント 優勝
ケイリン 優勝
2023年UCIトラックネーションズカップ 第1戦 ジャカルタ  スプリント 2位
UCIトラックネーションズカップ 第2戦 カイロチームスプリント 3位
ケイリン 3位
スプリント 3位
2023年杭州アジア大会 中国 チームスプリト 優勝
スプリント 優勝
2024年UCIトラックネーションズカップ 第1戦 オーストラリアケイリン 3位
スプリント 優勝
チームスプリント 2位
UCIトラックネーションズカップ 第2戦 香港ケイリン 優勝
スプリント 優勝
チームスプリント 2位

太田選手の強さのヒミツ

生まれ持った脚の強さ

画像:TBS NEWS DIG

太田選手の爆発的なスピードを生み出しているのは64cmもある太ももです。

前部分にコブが盛り上がっていて、巨木のようです…

この太ももの強さは生まれもってのもので、本人いわく瞬発的な筋肉が強いのは自分でも実感していたそう。

そうなると一体どんなご両親なのかが気になり調べてみましたが、特にスポーツはされていないようでした。

弟が陸上をちょっとやっていたくらいで、スポーツ一家ではなかったです。体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家だったと思います。

引用元:More CADENCE

ボート競技の経験

太田選手は、自転車競技での異次元の成長スピードに関して、ボート競技での経験が影響していると考えています。

ボート競技をしていたことが、今の自分の強みの全てなのかなと思うぐらい影響していたというのはありますね。

ボートをしていなくて実際、自転車をそのまま小さい頃からやって来てたら、たぶんここまで絶対になれていなかったというのは言えます。

やっぱりボートの時に鍛え上げた練習に対しての気持ちや、日頃どういうふうに生活したら強くなれるかというのをボートの時に、すごいボートの選手やいろんな先輩から教えてもらって、そういうのがなんかこう自転車にすごく生きているのかなというふうに思います

引用元:現代ビジネス

ボート競技部時代に培った身体と精神の忍耐力が自転車競技も生かされているんですね。

まとめ

2022年に彗星のごとく競輪界に現れた太田選手は自転車競技で瞬く間に世界のトップ選手となり、日本代表としてパリ五輪で金メダルを目指します。

オリンピック代表になるまでの競技歴はわずか3年という異次元の成長スピードで自転車ファンを魅了してくれますが、オリンピックの舞台でもその存在感を存分に発揮してくれるのではないでしょうか。

日本自転車界初となるオリンピック金メダル獲得に期待して、応援したいと思います!

パリオリンピック結果

男子チームスプリント5位入賞長迫吉拓 小原佑太 太田海也
男子スプリント7位入賞
男子ケイリン降格

スプリントとケイリンにおいて警告を受けてしまい、非常に悔しい結果となりました。

これまで出場した国際大会では同様のシチュエーションでも警告を受けたことはないそうで、やはりオリンピックには独特のオリンピックルールがあるのかもしれないですね。

この悔しさを、是非次回のロサンゼルスオリンピックで晴らして欲しいです!

頑張れ太田選手!

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